セミピューロ(英文表記:semipuro)とは、セミプロのユートピアを略した造語です。
「プロではない」という立ち位置から、くだらないアイディアで世の中を埋め尽くすことをミッションとします。世の中を少しだけ良くしよう、半径2mの人を幸せにしよう、もっとアイデアで遊ぼうをコンセプトとしています。
なぜ、今セミピューロなのか
プロによる「一流のモノ・サービス」が凌ぎを削る資本主義社会。それらを与えられひたすら消費することに慣れ、蔓延する「だって私、お金払ってますやん」感。「社会の問題は誰かが解決してくれるし」感。完全分業化による過熱気味な他者依存。
「モノ」よりも「経験」の価値が高まる今、「こんな社会になったら」「こんなモノがあったら」と思いついたら二流でも、三流でも自分と自分の半径2mの人たちのために何かしら創ってみる、動いてみる。そこにいる自分にしか見えない価値を創出して世の中を少しだけ変えてみる。上を見ればきりがない。完璧を求める社会は国や企業に任せて、自分たちは自分たちの範囲で遊ぶように世の中を少しだけ変えていくことが新しいエンタテインメントではないかと考えています。
どうやって遊びながら世の中を変えるのか
世の中の価値(影響力) = A (コンテンツの質) × B (市場へのOUTPUT量) × C (知名度)だと仮定すると、
- プロは、A:5点、B:5点、C:5点の合計125点。
- アマチュアは、AもBもCも1点の合計1点。
- セミプロは、A:いわゆる趣味の3点、B:趣味で完結、市場には出ないの1点、C:知人には有名?の2点の合計6点。
これを図にするとこんな感じになる。
セミプロとプロのギャップは大きく、その間には価値の真空地帯、まさにユートピア(セミピューロ領域)が存在しているのが見える。ボトルネックが「市場へのOUTPUT量」だとすると(ここでいう市場とは価値を交換する場所)、自分にしか見えない価値をもっと世の中に提案するシステムが必要と考えられる。
セミプロのOutput量の障害は何か?
仮説1) 仕事に家事に忙しい。そんなことしてる時間が無いと諦める。
- 対策案1: 未完成でも面白いところだけOutputする。
- 対策案2: 遊び要素やメリットを入れて仕事などよりも優先順位をあげる。
仮説2) プロと勝手に比較して「私なんて・・」と、セルフ過小評価、趣味として自己完結。
- 対策案1: 儲からない、認められない、芸術としての独自の世界観を生み出す。
- 対策案2: その独自世界のニーズをプレマーケティングする。
セミピューロの機能
アイデア投稿(フェーズゲートシステム)
アイデアは最初の思いつきが肝心。実現性、儲からない、プロと比較してどうこうなどのいわゆるセルフ過小評価は豚に食わせて、自分の心が「面白い!」と思ったら人間共同体の倫理や道徳なんかを超えてアウトプットしてしまう。それが芸術ってやつではないでしょうか。
あなたの未完成なアイデアはこちらへ!→ お問い合わせフォーム
アイデアのプレマーケティング(いいかも!?ボタン)
業界初、業界初の「いいかも!?」ボタンを導入。「もっと知りたい」、「実現してほしい」、そんな期待を伝える「いいかも!?」ボタン。完全匿名性なので気楽にボタンを押してアイデアを応援して実現させよう。
最後に
一つの本業を持つというのはたかだか産業革命後の100年余の常識に過ぎ無いわけで。
セミプロとして、いやセミピューロとして眠っている能力や可能性を花開かせることで、一人一人の手で未来を創っていく、そんなシステムが今は求められていると私は考えます。
本当に幸せな人生とは何か。目指すべき社会はどんなものか。
このセミピューロを媒介として考えていけたらと思います。
そのためにも、もっとくだらないことをしよう。